この人 だめじゃん
まだ私がハイハイを覚えたばかりの赤ちゃんだったとき きっと無邪気に父親に近づいていったのだろう。そして自分の父親と目があった瞬間、こう感じたはずである。
「あ、この人だめじゃん」
その時から私は、こどもとして父親に当然求めるべきであろうさまざまなことを自分の父親からは受け取れないことを知り、あきらめた。その確信は深い深い無意識の領域で瞬時に起きてしまったことだから自分の意識上にあがることなく過ぎていった。私達家族にとって感情の交流ができない父は「危害は与えないけど、へんな人」
母が他界した後、一人ではとうてい生きていけない父親はすぐに再婚。相手の女性の思惑にまんまと乗っかってしまった父は家族にとって「危害を与えないけど、へんな人」から「危害を加える、へんな人」になってしまった。
そこから、今まで避けていた父親と否が応でも向き合わざるをえなくなり自分が一番ビックリしたのは無意識下に押さえ込んでいた「父親なるものへの渇望」がドグマのように溜まっていたということ。
私は、そこでようやく自分自身の「父性欠如」に気がつくのである。
社会にでれば色々とであう問題に、丸腰でしか取り組めない自分がいる。社会生活を円満におくっていくための、よりよい解決方法がわからない。そういう自分が抱える問題の根本には、少なからず父性欠如が原因としてあるのだ。
その根源的な原因がわかったとき、最初は途方にくれたけど周りで健全な父性を持っている人を見本にしながら少しずつ失敗を重ねながら自分で形成していくしかないのだ。
今からだって遅くない、貰えなかったら自分で作ればいい。
そう思えた時、自分の中にあった囚われや引け目が少しだけ軽くなったように思う。