踊るひきこもり

からだとこころについての備忘録

動く楽しさとは? 番外編(後)

「動く楽しさとは?」の記事で、動きに注意を向けることが大切だとお伝えしました。

注意という機能は意識(覚醒)状態とも深く関係しています。

 

        これは、注意と意識の相関状態を表したものです。                        

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A 超低覚醒(睡眠) 注意は無反応

B 低覚醒 注意散漫外からの無関係な刺激に反応しやすく、注意が1つにしぼりにくくなります。話も行動も脱線しやすくなり、一貫性がなくなってしまいます)

C 正常覚醒 注意集中

D 過覚醒 意識狭窄1つのことに注意が集中し過ぎて、他のことがわからない状態になります

F 超過覚醒 注意拡散(全ての刺激に対して敏感となり注意がしぼれなくなります)

 

スポーツにしてもお稽古事にしても、人間が物事に真剣に取り組むと、D過覚醒の状態を経験することは避けては通れないように思います。

寝る間も惜しんでとか、3度のご飯を食べるのも忘れて、などがまさにそうです。

しかし、D過覚醒がずっと続くということは、意識狭窄状態が続くということを意味しています。自分のしていることが全てであって、それ以外へのことには興味や関心を持たなくなる、そしてそれが善であり正である、恐らくそんな精神状態になってしまうのではないでしょうか。

 

だからこそ、過度な集中を求められる事をする時は、その指導にあたる人間、もしくは周囲の人達のフォローがないと、精神的に危険なことになってしまうのです。

 

子供の頃の習い事なら、きっと周りの大人達が見守ってくれるでしょう。危険なのは、私のようにいい大人になってから、のめり込んでしまう場合です。あまり1つの事にのめり込むということは、もしかしたらどこか現実から逃げたいという気持が潜んでいるのかもしれません。

 

 大人であるが故に、自分も周囲も分別があると思い込んでいます。意識が狭窄しているなんて思いもしません。ただそれでも、少しずつ現実の社会から自分を遠ざけるような言動を無意識にしていました。そうして、本当に取り返しのつかないところまでいって、ようやく気がつくのです。私の場合は身体が悲鳴をあげました。

 

自分の場合はそうなるまで気がつけなかったという、情けないケースです。

「過ぎたるは及ばざるが如し」 「中庸の徳」   耳に痛いです(^_^;